2011年12月25日日曜日

Happy Holidays!


カナダは今日24日からクリスマス休暇が始まりました。これから1月2日までの9日間は、食べて、飲んで、お喋りして、スキーして、、、の繰り返しが予想されます。

カナダの人々にとって、クリスマスは1年の中でも大切な祭日。ホワイトホースの空港もここ数日は家族の元に帰る人、帰ってくる人でごった返していました。

明日は、私も初めてターキーを料理する予定。冷凍されていたターキーは、既にここ3日ほど冷蔵庫の中で解凍中。今から楽しみです。

私にとっての2011年は、2月のコロラド川/グランドキャニオン遠征に始まり、6月のウェストコースト•トレイルでのハイキング、7月のヌナブット準州でのガイド(北極オオカミ、シロクマ、そしてジャコウ牛との出会い)、そして友人たちとの長年の夢であったファース川遠征の実現と、冒険には事欠かない1年でした。

同時に、今年は日本のことを強く想う1年でした。ここに暮らして16年。こんなにも自分と日本との距離や存在、意味について考えたことはありませんでした。そして、これからも復興に向けて、遠いからではありますが、想い、願い続けていきます。

皆様もよい新年をお迎えください。
来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

熊谷




2011年11月20日日曜日

Aurora Tour, 2012

重い重ーい腰を上げ、とうとうオーロラツアーを作りました。

しかし、そこにはやはり、地元Sweet River Enterprises(SRE)らしさを組み込ませていただきました。そう、ロッジやホテルに宿泊してではなく、「ユーコン人宅にホームステイ+オーロラ」です。ホストはSREのカヌーツアーでお馴染み、そして人気のフィリップの家庭。私の目から見て「ホワイトホース1番」の絶景を持つところにある彼らの家で、英語、フランス語のバイリンガルの家族と暮らしながら、湖と真っ白な山々をを眺めるユルツに滞在しながら、元フランスのナショナル•スキーチームに所属していたフィリップからクロスカントリー•スキーを学びながら、オーロラを待つという案はいかがでしょう?詳しくは、以下のサイトをご参照くださいませ。
http://www.yukonriver.com/trips/aurora.html

2011年11月19日土曜日

帰宅

日本を発ち、まだ紅葉が若干見られるバンクーバーで1日を過ごしてホワイトホースに戻ると、そこは吹雪とマイナス20度の世界。マイナス20度でも、吹雪いてますから、体感温度はマイナス32度。最後に滞在した九州との気温差、約40度。飛行機を下りた瞬間、「うわああ」。ちょっと「バンクーバーらしい」格好をしていたのも忘れ去り、早速上着を重ね着してボコボコに。ユーコンに戻った以上、洋服の組み合わせを気にする生活は終わりを告げ、「暖かいのが一番」に。それにしても、ユーコンの空気のなんと「ツン」としたことか。

空港に3週間駐車していた車はすっかり雪に覆われ、エンジンをスタートしたら「ウィンウィンウィン」となんとも頼りない音を立てる。2−3回トライしてやっとかかり、ほっとする。エンジンを温める間に、積もり積もった雪を払う。ああ、私の一張羅のロング•ブーツももう雪まみれ。

家に帰ると、アレンジしていた通りに友人が車道の除雪をしておいてくれた。デーン、「ありがとう!」。

しかしながら、階段もどこもかしこも、雪に覆われまくっている。そこをガラガラとスーツケースを転がして歩く。でも、上手く転がらないから、途中から担ぐ。ここではやはり、腕力が必要です。

ちょっとヒンヤリした家。薪を運んで火を入れて、やっと一息。

空港から家までの一連の行動を思い出し、48時間前までいた日本での生活からの一変ぶりに可笑しくなる。ユーコンに、そっと「ただいま」とつぶやいた。


2011年10月18日火曜日

Thanksgiving




1週間遅れでサンクスギビングの話題です。
ここ最近、Facebookのアップデートの手軽さに、ブログを書くペースがスローダウンしております。

さて、今年のサンクスギビングの週末は、土曜のステーキ•ディナーに始まり、日曜、月曜と2晩連続でターキーディナーに招待され、もう、これでもか!というほど食べてきました。
招待され、と言っても、こちらではホストがメインのターキーを調理し、後の付け合わせは持ち寄りすることが殆ど。私も先週末は毎日、サンクスギビングの定番メニューのパンプキンやサツマイモと向き合っていました。

最近、炭水化物の食べ過ぎに気をつけている私。連日のパーティーでの「ポテト」攻めに立ち向かうため、パーティーの前にはきちんと毎日走りに行きました。しかし先週末は、ホワイトホースの町に初雪が降り、景色が一変。一気に冬モードに突入し、トレイルを走る際も滑らないように慎重に。

冬の到来と共に、週末の日課の薪割りも始まりました。しかし、これら全てのユーコンでの日常を後にし、来週私は韓国と日本へ出発します。日本はまだ、暑いんでしょうね。日本に行くと、美味しい食事をたくさんいただくのが常。今年はランニング•シューズもスーツケースに詰めていこうと思っています。でもなあ、、、赤坂のホテルの前から走り始める勇気は、いつも田舎者の私にはないんですよねえ、、、。困った。


2011年9月25日日曜日

Smoked Salmon



生まれて初めて、スモークサーモンを手作りしました。やったあ、、、。

この作業には結構な時間をかけました。まず、先月アラスカの川まで2泊3日で釣りに行って数匹をゲット。その後、友人たちと共同で大量の(総量、450キロ!)フレッシュ•サーモンをアラスカから直接空輸し、私の仕入れ分である35キロものサーモンを3時間かけて下ろし、冷凍。

スモークには、サーモンを塩と砂糖に漬け込む時間を入れると、2日かかりました。もうこれからは、お店に並んでいるスモークサーモンが少々高くても、文句言いません。

でも、自分たちが食べるものを、こうして時間をかけてプロセスするというのは、なんとも満足感のある体験でした。自然や食べ物に対する理解や愛情が深まり、また感謝の気持ちも芽生えます。ユーコン人は今、秋の収穫シーズンに入っていますが、ムースを仕留めて解体するのも、クランベリーやブルーベリーを森に入って摘み取るのも、こういうことなのだなと感じました。

明日は、友人とクランベリー•ピッキングに出かけます。今年買った中古のディープ•フリーザーは、既に秋の恵みでいっぱい。嬉しい限りです。


2011年9月14日水曜日

価値


5年ほど前、私の1987年物、走行距離285,000キロの愛車、Toyota Tercelを500カナダドルで売り(約4万5千円)、その錆びた車体やヒビの入りまくったフロント・グラスの状態を見たことのある日本の家族、友人に驚かれたことがある。「日本じゃ、お金払って引き取ってもらう代物だけど、、、」

しかし、このような「もう、いつ動かなくなってもおかしくない」車の売りの相場は500ドル、というマジック・ナンバーが私の頭にはある。先日も、友人のクラッチが故障した1990年代前半のToyota車が500ドルで売れた。これを買った方の友人は、自分で修理して今もう運転している。世界のToyota、信頼できるToyotaは、こちらでは300,000キロまではいけると噂で、まだキロ数が残っていれば500ドルは惜しくない額なのだ。

しかしながら昨日、友人の弟が車を売りに出し、その大胆さは私の常識を超えた。

1982年のDatsunトラック。走行距離は137,000と確かに低い。宣伝文句が凄くて、「クールな木のパネル付きで、状態良好」。木のパネルって、これ、お洒落のためなんだろうか、、、
これで、なんとお値段「ベスト・オファーの2,500カナダドル!(約24万円)」

参りました!

*Sweet River Enterprisesの Facebookページ、始めました。ファンが増えたらもっと張り切って更新すると思うので、良かったらサーチしてみて下さい。


2011年9月12日月曜日

Birthday



今年のバースデーは、ホワイトホースから車で約7時間北に走った、デンプスターハイウェイで過ごしてきました。

デンプスター上にあるテュームストーン州立公園は、ここ数年ツンドラの紅葉ツアーで日本からもたくさんの観光客がいらっしゃるようになったエリア。私もこの時期はガイドに出ていることが多いのですが、今年はホワイトホースにいたため、友人たちとテュームストーンより更に北まで車を走らせ、ベース•キャンプを張ってそこからバックカントリー•ハイキングを楽しんできました。

ユーコンはやはり凄い。なんとも言えない絶景と紅葉した広大な大地を楽しめる山を歩くこと8時間、私たち以外誰にも会うことがありませんでした。これも、地図が読めて、トレイルのない場所を歩けるからこそではあるのですが、それにしてもこういう場所が存在していることに改めて感謝。

夜は、友人がフライパンで焼いたブラウニーのバースデー•ケーキでお祝いしてもらいました。「ロウソク忘れた!」というので、臨時でマッチ。なんとも勢いのいい炎を吹き消しました。

そして、夜、トイレのためにテントから外に出ると空にはオーロラ。

思い出に残るバースデーになりました。自然と友人たちに感謝。

2011年8月5日金曜日

旅の後




無事、7月の二つの旅から戻りました。


ヌナブット準州では、ガイドのひとりとして、野生動物を追う旅。

アークティック•ウルフの遠吠えが未だ耳に残り、シロクマを数時間、ただただ眺めた時が夢のように思い出されます。



ユーコン準州の北極圏を流れるファース川では、友人同士の旅のため、メンバーの一人として漕ぎ、歩き、笑い、とことん自然に心酔する旅。これ以上は何もいらないと感じる、最高の満足感を、今回もこの川で得ることができました。そして、こういう旅を自分たちで作り、安全に旅し、同等の価値観で楽しめる仲間に恵まれていることにも、改めて感謝。



2011年の7月は、とても思い出に残る、贅沢な月となりました。



数枚、写真を添付します。



ヌナブットで出会ったシロクマとファース川、そして真夜中の北極海です。この後、午前3時にテントから這い出すと、水平線にタッチする太陽を見ることができました。川旅を北極海にて終わるというのは、なんともドラマチッックです。ちょっとブログには写真を掲載できませんが、皆でしっかり北極海に飛び込みました。これで北極海沿岸を訪れるのは4回目ですが、飛び込んだのは初めて。調子に乗って何回も海に入りましたが、癖になるようなしびれる冷たさでした。







2011年7月3日日曜日

Summer Adventures


7月、大学の仕事を1ヶ月休み、ふたつの冒険に出かけます。

前半10日は、ツアーのアテンドで、ヌナブット準州のアークティック•ウルフとシロクマを探すツアーに同行。そしてホワイトホースに戻って1日洗濯したら、翌日から今度はユーコンの北極圏に飛んで、ホワイトホースの友人たち12人とファース川を2週間下りに出かけます。

6月にはカナダのハイキング•トレイルとしてはアイコン的存在でもあるウェスト•コースト•トレイルも1週間かけて友人と歩いてきましたし、今年はなかなか、思い出に残る夏になりそうです。

ヌナブットは、3年ほど前に一度ガイドでサマーセット島というところでベルーガを見るツアーに同行させていただき、なんとも言えない感動的な時間を過ごした経験があるのですが、今回はまた違うロケーションで、違う野生動物に出会うことをとても楽しみにしています。

そして、ファース。2004年に下って以来、私にとってとても特別な川です。今まで、色んな川を旅しましたが、私にとって本当に一番の川です。あれから7年。なんとかあそこにもう一度帰りたい、できれば友人たちとプライベートで旅したい、という想いが実現します。この川はツアーに参加する以外は、正直、そのロケーション、レベル、費用面などから「そんなに簡単に行ける川」ではないので、更に特別なのですが、ここ3年ほど、これを目標に行動してきた甲斐がありました。

ファースは、食糧計画も、装備の移動、その他諸々のアレンジも、当然全て自分たちでやるわけですから、準備が大変です。しかも、今回は私が言い出しっぺの一人でしたから、余計です。ここ2週間ほどは、ヌナブットとファース両方の準備で頭がパンク状態でしたが、今日、ヌナブット出発の12時間前にようやく落ち着きました。

これからの1ヶ月は、自分がパッキングした洋服だけ、そしてファースではそれに加えて持っている食糧と装備だけで過ごすことになります。シンプルな毎日を、楽しみにしています。

では、行ってきます。


2011年5月25日水曜日

日曜ビッグバラエティ


現在、テレビ東京「日曜ビッグバラエティ」の収録中。今回、恐縮ながら私も出演させていただいております。私のここでの生活ぶりをタレントの田中律子さんにご紹介いただくという企画です。

ということで、先日は、田中さんと私のユーコンのカヌー仲間と1泊2日でタキニ川にカヌー+キャンプに出かけてきました。

田中さんは、普段からスキューバ•ダイビング、スタンドアップ•パドル、サーフィンにヨガ、とアクティブな方なので、パドルの技術も一度お話しただけですっかり体得し、最初の「エディ•アウト」から見事なターンでした。

田中さんは現在、沖縄の珊瑚を守り、増殖するNPO「アクアプラネット」の理事長もされており(www.aqua-planet.org)、一緒に環境についての想いを語り合ったりもさせていただきました。本当に気さくで、素敵な女性。こんな方と一緒にユーコンを旅させていただいたことをとても光栄に思っています。

私は、自分がカメラの前で上手く話せたかどうか分かりませんが、興味のある方は番組をご覧になってみて下さい。放送は6月5日の日曜日です。




2011年5月4日水曜日

Japanese Food


子供の頃は、好きなケーキなどは薄く薄くフォークで切って、少しでも長く食べられるようにしたタイプ。
学生時代は旅と映画にお金をセーブするために、食費はなるべく削り、ランチも外食組から離れ、公園に行っておにぎりを食べていたタイプ。

そういう性質は、年齢を重ねた今も、あまり変わっていないようである。

昨年日本から遊びに来た友人が、私の台所に大切に保管されたある日本食材を見て爆笑した。何を笑われているのか不思議に思っていると、賞味期限を見てお腹を抱えて笑っているのだ。「期限切れてても、昔からお腹鍛えてるから大丈夫。今までそれで病気したこともないし」と答える私に、友人は「いや、それにしても、その切れ方がちょっと大胆、、、」

今でこそホワイトホースも、普通のスーパーで寿司海苔やわさびなどが手に入るようになり、日本食レストランが2軒もできたけれど、私がホワイトホースに暮らし始めた頃は、醤油と豆腐以外、日本の食材は本当に何も無かった。当時は日本に定期的に帰ることもなかったから、両親が送ってくれる小包が貴重で貴重で、とにかく頭に浮かぶのは「もったいない」。で、大切に保管したり、チビチビと食べ続け、それでも未だ、当時の物が残っていたりするのである。

今では日本に年に1度は帰るし、また旅の途中にバンクーバーに立ち寄って、食材をしっかり購入してくることもできるようになった。それでも、昔からの癖か、「もったいないから、少しずつ」の癖は抜けないのである。

千葉の友人は、「美味しいものは、美味しいうちに!」と、日本に行くといつも新鮮な食材でがっつり料理してくれる。そういう姿を見ると、「気前がいいねえ」と、ホレボレする。私の貧乏性では、そうはいかないのだ。

写真は、先週末の朝食のおかず。数年前に大阪の空港で買った梅干しと、去年の秋に成田空港で買った明太子(凍らせていたので、まだカチコチ)、それに、お知り合いにいただいた美味しい佃煮。これに、先日(といっても、もう8ヶ月前か、、、)友人が日本から持ってきてくれ、私もすっかり夢中の「白だし」入りの卵焼きとお味噌汁、、、。週末の朝に、たまに楽しむ和食は、この上ない贅沢であり、やはり色んなものを一気に食べたりしていたら、この楽しみは長続きしないのである。私には、これでいいのだ。

ちなみに、この朝食後も、腹痛、無し。やはり鍛え方が違うのか。感謝。

注)ツアーでお出しするお食事は、全て新鮮な食材を使っておりますので、どうぞご安心ください。








2011年4月13日水曜日

Fundraising Event




先週金曜日に行った募金のためのイベント、無事に終了しました。

イベントが始まるまで、一体何人の人が来てくれるのか、全く想像できずにちょっと緊張しましたが、160人前後の人が参加してくれ、合計9000カナダドル(正確な今の両替率が分かりませんが、80万円くらいでしょうか)が集まりました。


ホワイトホースの町で今回の日本の震災への募金イベントとしては2つ目だったのですが、その上でこれだけの人と募金が集まったのは、やはりホワイトホースという町の人々の温かさかなと思います。


イベントでは、日本から遠く離れて暮らす私が話すよりもと、東京の友人にユーコンの人々へのメッセージを書いてもらい、それを読ませていただきました。私の友人知人、そのメッセージに書かれている言葉の深さに感動し、メッセージをシェアしたことを感謝されました。


バンドも、サイレント・オークションも、飲み物、食べ物も、全てが寄付。イベントを手伝ってくれたのも全員カレッジのスタッフと留学生のボランティア。


皆の想いが繋がったイベントになったこと、とても嬉しく思います。

友人のメッセージに書いてあった通り、義援金とともに、ユーコン人のパワーを日本に、被災地の人々に送ることができればと願っています。






2011年4月3日日曜日

Wishes from the North


この3週間は、今まで感じたことがないほどに、自分が自分の生まれ育った国から遠く離れて住んでいることを痛感する日々でした。これほどインターネットのニュースや、日本の家族、友人からのメールを読むのに時間を費やしたのも初めてだったかもしれません。

机の前で悩みつつ、悲しみつつ、日本に行くことも考えたのですが、友人たちからのアドバイスで、まずはここからできることを考えることにしました。

そこで、ユーコンカレッジからのバックアップをもらい、来週金曜日に、募金集めのためのイベントを行います。バンドも、必要な機材も、オークションの品物も、食べ物も、全て地元の人々からの寄付で行います。Hope for Japanのロゴは、交友のあるOkanagan University-Collegeで既にキャンペーンのために作っていたものを使わせていただくことができました。企画、実行を通して、ホワイトホースの人々、カナダの人々の日本への想いを感じています。

先週末は、お隣のアラスカ、スキャグウェイへ行ったのですが、そこの小さなカフェでも、ウェイトレスが「日本人か?」と聞くので応じると、「日本の人々のことを想い、応援している」と言ってくれました。

ユーコンの北の北、道路も通っていない人口250人、バンタット•グウィッチン族の村、オールド•クロウからも電話が入り、「募金をしているなら寄付したい。何かできないかとずっと考えていた」。

大学内で、たまたま赤十字の募金箱を持って歩いている私を見て、足を止めて募金してくれた先住民の男性。彼は、その後、イベントの飾り付けのための折り紙ワークショップにも参加してくれました。

ここ、北の町でも、多くの人々が日本のことを応援しています。



2011年3月12日土曜日

Earthquake

宮城県沖で発生した地震のニュース、カナダでも大きく報道されています。

こういうニュースが届くと、自分がどれだけ家族、友人から遠い所に暮らしているか痛感します。先ほど、ようやく電話が繋がり、家族と話ができました。ネットである程度情報は入りますが、やはり声を聞くと安心します。

皆さんのご無事を心から祈っております。

2011年3月6日日曜日

Return


コロラド川の旅から無事に戻りました。

下から見上げるグランド•キャニオンは想像以上のスケールで、40億年の時を経た渓谷の迫力と美しさにただただ見とれ、圧倒され、そこにいることを感謝し続ける毎日でした。

川は、噂通りに大きな瀬が次々に目の前に現れ、かなりエキサイティング。そこを安全に旅できたのは、ひとえに、確かなテクニックと経験を持った友人たちのお陰です。

このような個人のエキスペディションでは、参加する人々の個性、技術、経験が否応無しに見えてきます。今回私が最も感謝したのは、グループ全員が一番大切にしていたのが「安全に旅する」ということ。私も、レベルの高い瀬に向き合う度に、川の流れ、波や岩の状況をじっくり観察し、自分のため、グループのために迂回すべきと判断した時は、遠慮なくそうしました。グループのリーダーでもあったアンディは、「自分がラフティング•ツアーのガイドをする時、川の経験が全く無い人には危険性を判断する力が無く、また、全ての瀬を経験したいというエゴを持ってくる人もいるから、大変なこともあるんだよね」と言っていました。
私も、若かりし頃、また、まだあまり経験の無い頃だったら、そういうエゴも持っていたかもしれないけれど、今は、リスク•マネジメントが一番。そういう価値観が同じ人たちと一緒に旅できたことは、とても貴重でした。

1年間に2万人もの人が旅するというコロラド川。それなのに、各キャンプ地ではゴミを殆ど見かけることが無く、公園の管理体制と、またここを旅する人々の意識の高さに感心しました。ただ、それだけ人が入っている場所だけに、例えば渓谷の壁に見つけた洞窟によじ登ってみても、そこには数々の足跡が。その歴史と人の多さを考えたら、ユーコンの野生地のような「未踏感」は当然ながら味わうことはできませんでした。

この旅では、16日間、冷たい岩の上に腰を下ろし、渓谷に囲まれ、細長く見える空いっぱいの星を見上げながら、物思いにふける時間をたっぷり過ごしてきました。私のように、恐らく一般基準より多くの休暇を取る人間が言うのもなんですが、やはりこういう時間はとても貴重で、今回もたくさんグランド•キャニオンの岩壁に約束と願い事をしてきました。

次にここを訪れるのは一体何年後か。その時の自分が楽しみです。


2011年2月8日火曜日

Grand Canyon


今年の冬の一番の冒険は、これです。

学生時代、初の海外一人旅で訪れた場所のひとつがグランド•キャニオン。若かりし私は、そのスケールの大きさに圧倒され、深い谷間を見ながら密かに思ったものです。「いつか、下からこの渓谷を見上げてみたい」。当時、自分の人生なんて全く見えていなかった頃。十数年後に、まさかその日が来るなんて、、、。

今回は、ホワイトホースの友人のアンディがコロラド川をラフトで下るライセンスを取得し、誘ってくれたので実現する旅。ホワイトホースから7名参加での冒険です。

コロラド川といえば数々のラピッド(瀬)でも知られており、先日YouTubeで垣間見たいくつかの大きなラピッドにちょっとビビリもしましたが、そんな恐怖心で滅多にないこの機会を潰すことはありません。

ということで、明後日から3週間、休暇に出ます。川の上は16日。コロラド川の旅は平均21日間なので、ちょっと短いのですが、それでも十分に川と渓谷を満喫できることでしょう。

今はパッキングの真っ最中。真冬にパドリング•モードを高めるのは少々難ですが、出発も差し迫り、追いつめられたらいつもの如く頑張るでしょう。

では、行ってきます。




2011年2月2日水曜日

Desire


先日、友人から「明日の4時、裏庭でビーコン•サーチの練習するからおいで」という誘いの電話が入った。ビーコンとは、バックカントリー•スキーに行く際に身につける器具で、万が一雪崩で埋まった場合の唯一の命綱。そして、埋まった自分や友人を助けるのは当然一緒に滑りに出かけた人たちで、それだけにお互いがお互いを信頼できる環境でバックカントリーに足を踏み入れることはとても大切なのである。だからこそ、こうした友人の誘いには喜んで、そしてありがたく参加する。

通常は5時まで仕事するけれど、この日は昼休みの1時間スキーをスキップして働き(偉い!と思うのはきっと私だけか、、、)、4時に友人宅に直行した。

到着すると、裏庭では既に「ピーピーピー」という音が鳴り響いており、ちょうどディランが埋められたふたつのビーコンを探しているところだった。早速私も、、、と自分のビーコンを取り出し、友人たちが集まる台の上にそれを置いて吹き出した。その台の上に乗っているのはそれぞれのビーコンの他に、缶ビール、そして友人の一人が2週間後に出かけるというハワイのガイドブック。「ちょっと、この台の上、私たちの欲求が乗っかり過ぎ!」と私が言うと、皆、「そう言われればそうだ」と苦笑した。

しかし、自由を求めるユーコン人は、これでいいのだ。私たちは、仕事を切り上げて10分後には、裏庭の森を歩き回ってビーコンを探せる、そういう環境を選んで暮らしているのだから。


2011年1月16日日曜日

-40


これ以上無いというくらい澄んだ青空を、今、家の窓から眺めています。外は、しびれるくらいの寒さ。マイナス40度。

昨日、ラジオで目を覚ますと「ホワイトホース、マイナス40度」のアナウンス。あああああ!!なんとかベッドから起き出し、出勤。今持っているスバルのレガシーは、もう6年ほど運転しているけれど、昨日、初めて気がついた。この車に付属する温度計は、マイナス30度までしか表示が設定されていないのだ。そういえば、昨日もマイナス35度のはずなのに、計器はマイナス30度で、「なんだ、予報より暖かいじゃん」なんて気楽に思っていたのに、、、。

マイナス40度がどういう世界か。まず、夜明け前(というのも、朝10時まで暗い)は霧がかかったような状態で、空気がずっしり重い感じ。お日様が昇ると、一転して突き抜けるような青空。外に出ると、肌がさらされている部分はピリリと「痛い」。服を来ていても、例えばジーンズを直接肌に直接履いている場合には、もうビシビシ冷たさが感じられ、やはり「痛い」。口の周りを覆っていないと、肺に痛みを感じる。髪など、少しでも濡れていようものなら、すぐに凍り付く。例えば2日前、マイナス35度にも関わらず、最近寒くてスキーに行けてないからと、運動不足解消のために室内プールに泳ぎに行った。その帰り、車まで歩くわずか2分ほどで、帽子から出ている部分の髪がバッチリガチガチに凍り付いた。その固まり方があまりにもアッパレで、このまま髪が折れて、あごまでのオカッパ頭(って、表現が古いかな。ボブです)になってしまうのではと心配になるほどだった。

今日は土曜日。アラスカにバックカントリー•スキーに行く予定もキャンセルになった。朝起きて暖炉に火を入れる。薪をもっと取りに行かなきゃいけないのに、そのために全身防寒するのが面倒で仕方ない朝。今週末は、家の掃除に精進しよう。