2009年12月29日火曜日

Joy




クリスマスの前日、ついに井戸水が蛇口から出て拍手。クリスマスの1日後に新しい薪ストーブに初めて火を灯して感動。

大晦日には、この家に初ステイです。

皆様も、どうぞ良いお年をお迎え下さい。




2009年12月16日水曜日

Hands On


「で、これが森を切り拓くために木を切ってくれた友人のJoeで、こっちがそれを薪のサイズに切ってくれたJonathanとSethで、、、」。千葉で、家の建築過程の写真を見せていた時に友人が一言。
「こんな作業をやれる友達に囲まれているってのが凄いよね」
「自分たちでやっちゃうんだもんなあ」
そう。私も14年前にユーコンに暮らし始めた時、知り合った人々が車の簡単な修理やリフォームなどを軽々とこなしてしまうのを見て驚いたことがある。日本だったら専門の業者に電話するよなー、ということまで、まずは自分たちでやろうとする。
今は、そんなハンディな友人たちに囲まれて生活しているから、自分の感覚もちょっと鈍くなり、今回の日本の友人のコメントがとても新鮮に耳に響いた。
今回の家の建築も、私は全て友人たちのお世話になっている。」
家のデザインは建築家の友人に。建築は友人の大工に。木の切り倒しは木こりの友人に。台所の組み立ては以前自分で家を建てた経験のある友人に。そのインストールも器用な友人に頼んだ。
自分が好きで信頼する友人たちの手がこの家に関わるのが嬉しい。そして、私も微力ながら手伝い、学びつつ、彼らと時間を過ごせるのが嬉しい(上の写真は、1日仕事を休んで台所の組み立ての手伝いにきてくれた友人が黙々と仕事をしている姿。下は私が棚の取り付けを学んでいるところ)。こうして、友人たちの優しい気持ちがこの家に吸収されていくのが嬉しい。
薪ストーブの火のごとく、柔らかい暖かみのある家になりますように。


2009年12月10日木曜日

Sourdough

巨大なシュークリーム?いえ、これ、生まれて初めて焼いたSourdough Breadです。

先日友人からサワドー菌を分けてもらったので、早速作ってみました。
形がこうなったのは、友人のレシピで「フタのある容器で焼くこと」とあり、「ここのところ、大切だから」と念を押されたものの、適当なものが無く、仕方なく陶器のソース・ポットのような物に入れて焼いた結果の形。途中、オーブンの中で勢いよくパンが膨らんで、乗ってた蓋を押し上げ始めた時はビックリしたけれど、でも、Sourdoughの酸味が利いた美味パンが焼けました。

「Sourdough」、この言葉は、ユーコンにしばらく滞在するとよく耳にする言葉です。100年+前のゴールド・ラッシュの時代、金を求めて山道や川を旅する人々は、パンを作るスターターであるこの「Sourdough」を大切に抱えていたといいます。そのため、以前も一度ブログに書きましたが、ここではこの厳しい冬を3回越した人々のことを本物のユーコン人になったという意も含めて「Sourdough」と呼びます。

で、今宵はSourdoughである私がSourdough菌を使ってSourdoughパンを焼いた、というわけです。

このSourdough菌、2週間に1度は小麦粉と水を足して培養していく必要があり、私の家で植物の次に配慮の必要な「生き物」となりました。今まで、どこかに長期で旅に出た結果、いくつかの「生き物」たちを裏切った経験がある私。その都度反省させられたのですが、今回は、さて、、、。最近、ある決心をしたので、その効果が発揮されれば、きっとこれからも家で美味しい手作りのパンを食べていけることでしょう、、、。きっと。

2009年11月30日月曜日

薪ストーブ







日本から戻り、時差で眠れない夜を過ごした翌朝、友人の電話で起こされました。

「頼まれていた薪、もう準備できてるけど、今日、配達に来ていいかな?」

はいはい、そうでした。日本に出る前、確かにこの友人に薪を注文していました。新しい家には薪ストーブが入るのですが、土地を切り開く際に切った木はまだ乾燥していないため、今年に限っては薪は買うしかないのです。

一気に「ユーコン生活」に引き戻された瞬間。ベットから起き出し、作業着のカーハーツを履くともう1ヶ月前の私。前日、千葉の友人宅で「最近お肌が、、、」と柄にもなく相談していた私は何処へやら、、、。

家の建築現場に行くと、トラックの荷台いっぱいの薪と共に笑顔で待っていた友人。早速「この薪はさあ、、、」と薪自慢。面白い。一緒に荷台から薪を地面に放り投げ、友人が去ると、今度はそれをきれいに積み上げる作業。乾いている薪は比較的軽いものの、それでもこれはひと作業。でも、地面に放っておくと湿気で薪が燃えにくくなるため、これはどうしてもやるべき仕事なのです。

とにかく、1ヶ月近く留守にしていた私には、家での仕事が山積み。自分の家の建築にはなるべく関わりたいからと、自分でオファーしたことなのですが。

で、最初に取り掛かったのは、薪ストーブを置く土台作り。友人宅で見た手作りのそれが気に入り、真似をすることにしました。まずは石屋さんで売り物にならない石を安価で売ってもらい、それを金槌で砕く。砕いた石で、モザイクを作っていく、、、。大工仕事は得意ではないけれど、これは非常に面白かった。で、翌日、友人のセスが来て、石の固定をしてくれました。私が学べるように、きちんと指導しながら、、、。さすが、本業はガイド?!で、2日後に完成。ここにもうすぐ、薪ストーブが入ります。

煙突がないと、サンタさんが来れませんからね、、、。これで、何とか間に合いそうです。

2009年10月27日火曜日

家族

ワイオミングから戻って2週間。またまた、機上の人に。
今回は、日本と韓国。

仕事の合間に休暇を取らせてもらうのですが、今回は、それも少し特別なものになりそうです。

姉から、父がいよいよ仕事を辞めるのだと連絡が入りました。記憶のある限り、父は平日は毎日ネクタイをし、自分の淹れたコーヒーを楽しんでから、バックを持って後ろから歩く母に見送られて仕事に出かけていました。夜6時半には帰宅して家族と食事をし、8時頃、私たちがそれぞれ勉強部屋に行く頃には、自分の部屋に入って本を読みながらクラシック、もしくはジャズを聴くひと時を楽しんでいた父。週末は私たちを連れて山へ行くことが多く、私の自然好きは父から受け継いだものだと信じています。バンガローで聞いた、大学の登山部時代の思い出話。普段はあまり食べさせてもらえなかったインスタントの焼きソバ「UFO」や「豚骨ラーメン」が、山に行く時だけは解禁で、小川の側で、ガス・ストーブでお湯を沸かし、3分待って食べたランチの味(!)は今でもよく覚えています。

今まで、何十年と続けてきた生活のリズムを変えるというのは、どういうことなんだろうと考えています。私なんてリズムを外してばかりだから、それが当たり前だけど、きっと父のような人にはとても特別な出来事なのだろうと思います。そして、もちろん母にとっても。

娘二人が途中で留学だ、冒険だと海外に飛び出し、恐らく想定外の出来事も数多くあったであろう二人は、それでもいつも寛容に(というのは、娘から見た勝手な見方で、本人たちが内心どう感じていたかは、、、ですが)私たちを見守り、私たちが「帰ることのできる場所」をしっかりと守り続けてくれている両親に、深く感謝。今度の帰省では、いつもより少し特別な家族旅行ができることを楽しみにしています。

2009年10月19日月曜日

Canadian Thanksgiving in Wyoming











NOLS (National Outdoor Leadership School)の表彰式から無事戻りました。

スピーチはとてもとても緊張したけれど、普段からお世話になっている人、サポートし続けてくれている友人たちにオフィシャルな場で感謝し、そしてNOLSという団体に対して私の敬意を表すいい機会になりました。

式では、私におめでとうと声をかけてくれた男性がイエール大学の教授だったり、私と同じ部門で表彰された人が今はNASAの宇宙飛行士になった人だったりと、この学校をサポートする人や卒業生の活躍する分野の幅の広さを感じました。

今回は、カナダ人のインストラクターとスタッフの友人のうちの3人がワイオミングにいたため、後日、皆でアメリカ人のスタッフも招待し、Canadian Thanksgivingの晩餐を催行(アメリカのThanksgivingは11月)。七面鳥や数々のベジタブル・ディッシュ、そしてパンプキン・パイという秋の収穫を祝うTraditionalなメニューでゲストを歓待しました。


NOLSのセレモニーでもそうだったのですが、なんだろうなあ、生き方や自分の好きなこと、情熱を感じることについて似たコンセプトを持つ人が集まると、こんなにも団結しやすく、楽しいものか、、、ということを今回の週末に感じました。この私のNOLSの輪には、他の友人関係とはまた違う、独特のベースがあるように感じています。皆、どこか「似たもの同士」。顔を合わせれば「What's next?」「Where have you been lately?」の世界。自分の好きなライフ・スタイルを守るためにこういう仕事を選び、動き続ける、「Free Spirits」が渦巻く世界。「いや、私は定職あるし、もうユーコンに10年以上住んでるし、、、」と言っても、「いや、Yoshiはone of usだ」と引き戻される。そうなんだよな。合うんだよな。自分の本質に逆らっても仕方ないかと認識し出した今日この頃、、、。


タイトルはCanadian Thanksgivingだったのに、随分と内容がずれてしまいました。ではでは、オーブンで7時間。こんがり焼けた七面鳥の写真をお楽しみ下さい。

2009年10月8日木曜日

ご褒美

昔から、あまり「表彰状」系には縁が無かった私。今まで、個人的にどういうことで表彰された経験があるか考えてみると、、、小学校6年間虫歯無しの「よい歯で賞」と中学校3年間の皆勤賞位でしょうか。どちらも、両親にもらった丈夫な身体と、大切に(そしてある意味厳しく)育てていただいたからこそもらえた賞であり、特に自分に何か特技があったから、というものではありません。ああ、そうだ。中学2年の時に主張大会で川の環境保護を訴えて優勝しましたかね。でもこれもまた、別に何というわけではなく、ただ主張が強いが故のものです(なんか、こうして並べてみると、変わってないんだなあ、私は)。

そんな私が、今回、久しぶりにご褒美を貰うことになりました。それも、自分が尊敬し、大好きな団体から。

もう5年前になりますが、National Outdoor Leadership School(NOLS)という、アウトドア・エデュケーションの世界では有名な学校のコースを奨学金をもらって受講したことは、以前ブログでも書いたかと思います。32日間のホワイトウォーターのカヌー・コースでした(32日間野生地でキャンプ生活、、、というのは私にも初めての経験でしたね、、、)。コースを受講する前から、私にはこの学校でインストラクターをしている友人が数名おり、彼らから「Yoshiもコースを受けるべきだ」と勧められたのがきっかけでした。そしてその自身の経験からアウトドア・エデュケーションへの興味、理解が膨らみ、その後、自分のライフ・ワークとしてアウトドア・エデュケーションを広めるために活動していることについて、今回NOLSからご褒美をいただくことになったのです。正直、寝耳に水だったのですが、どうやら私のNOLSの友人たちが私のことを推薦してくれたようです。

ということで、NOLSが彼らの本部であるアメリカ、ワイオミング州のランダーという町での表彰式に私を招待してくれることになりました。ブラジルの旅の荷物の整理もままならぬまま、明日、また飛行機に飛び乗ります。ランダーでは私の友人たちも待ってくれており、週末はターキー(七面鳥)を調理して、アメリカでですが、「Canadian Thanksgiving」のお祝いもする予定。楽しい週末になることを期待しています。

ホワイトホースの町でも、もう数回雪が降りましたが、ランダーでは既に60cmほど積もっているとか。それでも、少しの期待を込めて、ハイキング・ブーツはしっかりパッキングしました。ということで、またまた行ってきます。

2009年10月3日土曜日

BRAZIL


ブラジルから、無事戻りました。

久々に、「気の合う国」と出会った感じです。

正直な気持ちを書くと、今まで、幸運にも色んな国を旅し、たくさんの素晴らしい景色に出会ってきました。その中で、自分の心に一番衝撃を与えた場所に今、暮らしています。そこは、世界でも稀な本当に手付かずの自然を擁した所であり、自然についていうならば、自分の中ではベストとも言える場所です。それだけに、今、自分がユーコンの外を旅する時に求めるものや感動するものというのに変化が生まれました。それは文化であったり、人であったりします。

そして、今回のブラジルで一番感動したのは、「人」でした。ブラジル人の明るさ、寛容さ、正直さ。最初のタクシーで出会った片言の英語を話すオジサンから、ウェイター/ウェイトレス、ポサダ(朝食付の安宿)の管理人、学生、仕事相手まで、私の今回の滞在を明るく、楽しいものにしてくれたのはブラジルの熱い太陽と澄んだ青空以上に、彼らでした。

私が「人」に重点を置いて土産話をするので、カナダ人は「どうやってコミュニケーションを取ったのか」と聞きます。言葉について言えば、私はポルトガル語は?なので、英語と、少しできるスペイン語を駆使したのと、ポルトガル語を少しでも使おうとする努力を見せること、そしてジェスチャーによるコミュニケーションと勘は、今までの旅で培ってきたものですが、しかしそれ以上に大切だったのは、ブラジル人の私を理解しようとしてくれる優しさと大らかさでした。

そして、なんでこんなに自分が居心地がいいのか考えていた時に出会ったイギリス人(ブラジル在住)からヒントを得たのですが、サン・パウロは確かに日本からの移住者が多く(日本以外で日本人在住者の数は世界一の市であるとか、、、)、まずサン・パウロ滞在中は確実にブラジル人に見られたこと。他の都市にいる時にも「サン・パウロから来た旅行者」と見られ、とにかくどこに行っても私は「ブラジル人」。それで自分の存在にあまり違和感を感じなかったこと、それ故に私がポルトガル語を話せないと分かった時の驚きと可笑しさが手伝い、とにかくどんな人にも優しく接してもらえました。

今まで、南米ではチリ、アルゼンチン、エクアドルと旅した経験がありますが、どこに行ってもアジア人は比較的珍しく、特に小さな町へ行くと私は「中国人だ!」と指を指される存在。決して悪いことではないのだけれど、常に旅行者であることを意識(実際そうなんだけど)していないといけなかったのですが、今回のブラジルでは、そこの部分で、肩の力を抜いて旅ができたし、またブラジルの人々との距離を近く感じることができたです。

本や映画などで知っている世界と、自分が実際にそこの空気を吸い、道を踏みしめ、旅をして学び、感じる世界の違いと興奮と緊張感。これがあるから、私は旅が好きなのだと改めて実感。またまた、いい経験をさせてもらいました。

ユーコンの友人には「ここの太陽を持って帰るから」と約束していたのですが、今日、10月2日、ホワイトホース市内では初雪が降っています。いよいよ、長い冬の到来です。。。






2009年9月7日月曜日

年月

本当に不思議な巡り合わせで、14年前、私がユーコンに移って来たときに最初に出会った日本人のTomoさんとホワイトホースで再会した。

「Yoshiは全然変わってない」という彼のコメントが外見のことなのかどうかは不明だけど、「相変わらずストレスの少ない生活してるから」とだけ答えた。でも、私よりも変わっていないのはTomoさんで、昔と変わらずソロでの登攀を続けているらしく、その顔はこれ以上無理?というくらいに日焼けしていた。

Tomoさんは、私が植村直巳さんに感化され、憧れ、アラスカを旅し、結果ユーコンに来たことや、犬ぞりを学ぼうとノースウェスト準州にひと冬移ったなど、私がここに来たばかりの頃の言葉や想いをよく覚えていてくれた。

あの頃は、働いていたカヌー会社の庭にいると、毎日のように同年代の「面白い」日本人がフラリと立ち寄り、旅の話をし、時には私の家でご飯を食べていった。皆、植村さんや野田さんの本を読み、影響を受けて北へ冒険に来た人たちだった。南米から自転車で上がってきて、ホワイトホースで安いカヌーを買い、そのまま自転車も乗せてアラスカを目指していった人。アンカレッジからやはり自転車で旅してきて、これからチリまで行くのだという人。野田さんと同じような白い帽子を被り、野田さんがそうしたようにマイ・フェザークラフトを担いでカヌーを楽しみに来た人、、、。

最近は、ここでこういう「冒険の途上」にある日本人にあまり出会わなくなった。世代が変わり、ただ私が会わないだけかと思っていたら、14年来の知り合いであるカヌー会社のオーナーも同じことを言ったので、きっとそうなのだろう。だから、久しぶりにあったTomoさんが相変わらずで、山の話になると熱く語りだすのを見て嬉しかった。

14年。町に日本食レストランも、スターバックスもウォールマートも無く、代わりにユーコン川のほとりにアーティストたちが多く住み着いていた古いキャビンの集落、「シップヤード」があり、今よりもっとフロント・グラスにヒビの入ったトラックが多く往来していた頃のホワイトホース。私やTomoさんにとっての「古き良き時代」。私も、ここでそんな思い出話を語れるようになった。

14年もこの町で、毎日のようにグレイ・マウンテンを見上げ、ユーコン川の力強い流れの側で暮らし、そして今でもその景色を本当に好きだと思えることを嬉しく思う。

と、ユーコンをシミジミ語りつつ、突然ですが今週からブラジルに行ってきます。また、3週間後に戻ったら、報告します。では、、、。

2009年9月4日金曜日

Curious Mind








また、ひとつ歳を取る。自分の生活を冷静に見つめ直してみると、歳を重ねていることに、なるほど、ナルホドと納得することもあれば、何故こうなんだろうと首をひねってヒネリマクルしかないこともある。

でも、もし、20代前半からひとつ変わっていないものがあるとすれば、恐らく旅への強い好奇心だろう。大学3年の夏、初めての海外、初めての独り旅で訪れたアメリカ。足元に広がるグランド・キャニオンを見渡していたところ、60代くらいのおばあさんが私に近づいてきて、尋ねた。「あなたは、今日どんな方法でここを楽しんだの?」「足で」「そう。私もね、30年前は、歩いて渓谷を下りた。でも、もうこの歳ではそれもできないから、今日はバスで観光したのよ」

私が、以後、バックパックを担いでの旅を始めたのは、この言葉との出会いがあったから。「体力と、気力と勇気がある今だからこそ、今しかできない旅をしよう」

その想いは、今でも続いている。だからこそ、私は人力での旅に魅力を感じ、パドルを持ち、スキーを履き、バックパックを担いで自然にアプローチする。

今年の夏の友人たちとの9日間のアラスカ、プリンス・ウィリアム・サウンドでのシーカヤックでの旅。旅の前の装備や食糧の準備から始まり、海では地図を読み、ラジオで天候をチェックし、風雨の中パドルを漕ぎ続け、氷河の壮大さや目の前に広がるレイン・フォレストの瑞々しさに感動し、テント場で歌い、大声で笑う。これは全て、好奇心が導いてくれること。好奇心があるからこそ、私は青く光る流氷にアプローチし、氷をすくって口に含んでみるのだと思う。

この好奇心だけは、歳を重ね、いつか生活や旅のスタイルが変わっても、変わらずに持ち続けていられたら、、、と思う。




2009年7月24日金曜日

Prep


来週月曜日、いよいよ友人たちとアラスカ、プリンス・ウィリアム・サウンドへの11日間のシーカヤックの旅に出かけます。今は、バタバタと旅の準備中。家では、先週から友人に借りたDyhidrator(日本語では何というのでしょう、、、。食糧を熱風で脱水させる機械)が作動しっぱなし。カヌーでの旅と違い、クーラーをドッカリ載せていけるわけではないので、イチゴやキウイ、バナナなど果物を中心に、保存食を作製中なのです。
旅の仕方によって、持参できる食糧やパッキングの仕方などが変化するので、新しいことに挑戦する度に、本当に色んなことを学びます。
4日後には、ここから友人のトラックでアラスカのバルディーズに向かっています。バルディーズは、大学時代に初めてアラスカの地を踏んだ旅で訪れた町で、また、初の「幻のオーロラ」を見た場所でもあります。昔、観光フェリーで渡った海。あの頃は、その10数年後に自分がそこをシーカヤックで旅するとは想像もしていませんでした。あの時のアラスカでの1歩1歩が、私をユーコンに導いたことは間違いありませんが。
では、氷河の海に、しばらく出かけてきます。行ってきます!

2009年7月9日木曜日

Into the Wild
































世界の色んな場所を旅して感じる「ユーコンの良さ」は、いわゆる「景勝地」へのアクセスの悪さ。土地が広大であることと、ハイウェイの通っている場所が限られていることがあり、歩く、漕ぐ、飛ぶなどの方法でないと「行けない、見れない」場所が山ほどある。例えば、カナダの最高峰、マウント・ローガンだって、天気さえ良ければハイウェイから見える、、、ものではないし、氷河へも車で簡単にアプローチして、ちょっと歩いてみる、、、などというセッティングはここにはない。そして、そういう場所に限って、息を呑むような風景に出会えることがある。そこには、雄大な野生地を楽しめるという以外に、努力してこそ見て感じることができる場所であるということ、そして人や車が入っていないからこそ保たれている美しさというものがあると思う。


先週末、私と友人3人の4人のパーティーで、ユーコンのクルアニ国立公園へ2泊3日のバックカントリー・ハイキングに出かけた。公園内でのハイキングというと、「トレイルに沿って歩く」が基本だけれど、私たちは地図を持ち、公園からバックカントリー・キャンピングのパーミットを取り、「道なき荒野」を歩くウィークエンド・アドベンチャーに出た。テント、2泊分の食糧、装備を入れたバックパックは約20キロ。トレイル・ヘッドから見上げる峠にはまだ雪が残っている。


友人たちと地図を見ながら、スタート地点からゴールまでのルートを検討する。「ここに尾根があるだろう。ここを歩いて、谷間に下りて、、、」。「2つ目の湖にテントを張りたかったけど、熊が多すぎるからと公園に禁止された。じゃあ、この手前の湖ではどうだろう?明日歩く距離が増えるけど、大丈夫だよね?」人に頼らず、自分たちの判断で行程を作っていくことの面白さ。

今回歩いたルートは、最初の約13キロほどがクリーク沿いであるため、時々、ボトルに水を汲み、顔を洗いながら歩く。足元には、今を盛りと咲くワイルド・フラワー。天気にも恵まれ、最高のハイキングを楽しむ。

2泊3日。ハイキング・ルートを離れて歩いた私たちは、車を止めていたゴール地点の約2キロ手前まで、他のハイカーに出会うことは一切無かった。こんな場所は、正直、世界でも限られているのではないかと思う。

また一つ、ユーコンで秘密の素敵な場所を発見できた。

写真解説:
1)Into the Wild
2)Loving Life
2)今回のクルー(マイク、スティーブ、デービッドと紅一点で嬉しそうな私)
3)4)絶景の中でのキャンプ地とアウトドア・キッチン
5)影
6)熊の掘った穴。はい、やはりいらっしゃいます。
7)もうすぐゴール、、、という地点で小川を見つける。冷たいユーコン流「ASHIYU」

2009年6月24日水曜日

Bike Relay








  先週末、毎年恒例の「クルアニ・チルカット・インターナショナル・バイク・リレー」が開催され、友人たちと参加してきた。
  コースは、ホワイトホースから西へ約154キロ、ヘインズ・ジャンクションというクルアニ国立公園の玄関口でもある町から、クルアニ、タッチンシニ・アルセックという、ユネスコ世界遺産に指定されている公園を抜ける超絶景のハイウェイを走り、アラスカのヘインズという港町までの238.3キロ。これが8区間に別れており、ソロ、2人、4人、8人というカテゴリーのチームで走り抜ける。
  私たちは、6人のチーム。友人のジャレットが2区間を担当する。私は7区の担当で距離は37.5キロ。カナダとアラスカの国境を自転車で越えたくて、この区間を選んだ。前半の区間は山のアップダウンが激しく、後半はアラスカの海からの風に立ち向かいながら自転車を漕ぐことになる。
  この自転車レース、なんと参加者1200人規模。朝からお祭りムードで、シリアスな人たちはかなり真剣にレースに取り組むけれど、後は、「とにかく楽しもう」というムードの参加者たち。私たちのチームも「海賊」のテーマの下、おそろいのストライプの靴下を履き、自転車には海賊の旗を立てて走った。沿道ではチームのメンバーが海賊のコスチュームを着て応援してくれる。
  最近は皆の乗る自転車もどんどん高級化、高速化してきているけれど、私が乗っているこの自転車、大学時代にアルバイトのお金をはたいて買った一品。福岡は地元久留米の小さな自転車屋さんでフレームをオーダーメードして作ってもらった物で、大学時代に旅のために普段からケチケチ生活する私の足だった。カナダに移ってからも、どうしてもこの自転車をあきらめきれず、ある時飛行機に乗せてユーコンまで持ち帰り、そして未だに乗り続けている。このリレーにこの自転車で参加するのも3回目。時々、古い自転車に目を留めて「おっ。いい自転車に乗ってるねえ」と声をかけられることもあったりする。
  さてさて、「リラックス・チーム」であるはずの私たち。でも結果は8人チームのカテゴリーで75チーム中13位。以前は2位になったこともある。私は遅いけれど、私の友人たちは基本的に普段からの鍛え方が違う人たちなので、「順位なんて気にしない」と言いつつも、速いんですね、やっぱり。
最後はヘインズの海を眺めながら、アラスカン・ビールで乾杯。運動した分のカロリーをしっかり取り戻す夜を過ごしました。



2009年6月12日金曜日

Rivers




5月の4週目から、毎週末、カヌーを漕ぎまくっています。

毎週末というのは、土曜も、日曜も、とにかくカヌー、ということ。

1週目は、肩慣らしにタキニ川へ。この川は、練習に適当なエディが数々あり、途中、ロックガーデンや通称「ジョーズ・オブ・デス(死への入り口!)というクラス2-3(水量による)の短い瀬があり、遊べる川です。地元民に人気があり、ホワイトホースから日帰りで漕ぎに行くことができます。

2週目は、少しレベルを上げてウィートン川へ。この川は、クラス2の瀬が2時間ほど続きます。川幅が狭く、倒木などが川に横たわっていることがあるので、更に技術が必要になります。この川は、私の大のお気に入り。川も面白いし、何しろウィートン・バレーの景観が素晴らしく、何年、何回通っても飽きることのない川なのです。


3週目は、かなりのステップ・アップでクルアニ国立公園を流れるキャスリーン川へ。友達が友達を誘い、なんと15人のグループ。この川は、途中に滝、そしてクラス5レベルの渓谷があるため、どこでカヌーを止めるかをきちんと知っておくこと、(また、その場所できちんとエディに入る技術があること)、そして9時間クラス2-3の瀬を漕ぐ技術と精神力があることが条件になります。


この日、私たちも朝11時に漕ぎ始め、終了したのは夜8時。。。グッタリするかと思いきや、皆、満足感でこの笑顔。好きなんだなあ。






2009年5月26日火曜日

五郎さん


東京に住む仲良しの男友達Yから、家の建築の経過報告のメールへの返事が来た。
「なんかさ、本当に五郎さんみたいだよね」

この五郎さんというのは、当然「北の国から」の五郎さんなわけで、ファンの彼からしたら褒め言葉なんだろうけど、30代、女盛り(?)の私としては、五郎さんと呼ばれるのはどうだろうと、田中邦衛の顔を思い浮かべなら、ちょっと首を傾げてしまった。

次に頭に浮かんだのは、「野菊の墓」。あの小説の中で、民子は政夫という青年に「野菊のような人だ」と言われる。私も、例えられるなら「五郎さん」より「野菊」の方がいいよなあ。

でも、長靴履いて、シャベル・カーに乗せてもらって嬉しそうにしている我が写真を眺めると、やはり友人のコメントの方がはまる。まあ、仕方ないか。

2009年5月21日木曜日

水を探す







ドライブ・ウェイを入れて、電気を引いてきたら、次は井戸を掘ることになる。今日は、その準備として「水脈」を探してきた。

こちらには、「ウィッチーズ・トリック(魔女のトリック)」というものがあることを最近学んだ。ワイヤーやウィローの木の枝を持って森を歩くと、水脈のある所でワイヤーが回ったり、枝がしなるので、そこを掘るといい、、、というのだ。「はあ?」、、、花さかじいさんじゃあるまいしと、最初はかなり半信半疑だった私。すると、友人のマイクが「僕が見せてあげよう」と言い、早速、私の土地に来てくれた。
彼は、ハンガーを崩したような普通のワイヤーを2本と、不思議な棒を2本持って現れた。そして、彼がそのワイヤー片手に1本づつ持って歩き回ると、、、本当に、途中でクルリと両方が同時に回った???。もう少し歩くと、また、回る。目を見張る私に、「同じ場所を歩いて試してごらん」というので、ワイヤーを持って歩くと、確かにマイクと同じ場所で急にワイヤーがクルリと向きを変えた。

次に、ワイヤーが回った場所に立ち、棒を手にしたマイクが「頭にきれいな水を思い浮かべるんだ」と言い、目を閉じると、その棒が静かに上下に動きだした。「回数を数えて」と言うので、心の中で静かにその上下する数を数えると114回でゆっくりと動きが止まった。これは、地表から水脈までの深さだそうで、114フィート、ということなのだそうだ。

本当に、ビックリ。これは、科学的なことではなく、どちらかと言えばスピリチュアルな行為なので、信じる、信じないは人によるけれど、井戸を掘る人の殆どがマイクのような人を頼りにして場所を決めるそう。私も、目の前で見たら「もう、ここしかない!」という思い込みが生まれ、広大な土地にて井戸の場所を決定。折れた枝を立て、目印に石を置いたその場所が、とても特別な場所に思われた。

正直、「井戸を掘る」というのは博打に近い。何せ、掘る深さによって料金が変わるし、本当に水脈があるかも保証は無い。井戸を掘らなければ、家に巨大なウォーター・タンクを備え付け、水を配達してもらうようにもできるけれど、でも、「水」が好きな私は、どうしても自然から水をいただくよう、井戸にこだわっている。さてさて、、、どうなることか。

ところで、日本にもこういう「ウィッチーズ・トリック」のようなものはあるのでしょうか。まあ、今どき井戸のある家なんて珍しいでしょうが、、、。もしご存知の方がいらっしゃったら、是非教えてくださいね。





2009年5月4日月曜日

First Paddling of the Season




まだ岸辺に雪が残るユーコン川での初漕ぎ。

ホワイトホースのダウンタンから出発して3時間のパドリング。途中、更に北を目指す白鳥や渡り鳥が静かに羽を休める姿も見られた。頭上を飛ぶ白頭ワシも、時々聞こえてくる雪が川に崩れ落ちる音も、全てが夏の訪れを祝福しているよう。

私もこの季節、また川の上の人になる。笑顔。






2009年4月30日木曜日

スーパー・グリーン・ホーム





Lot 98。これが私の新たに手にした土地の住所。今、スプルースと松とポプラが生い茂るこの森に、家を建てる。来週から工事開始。まずは車道を入れ、下水システムを設置する。家を建てる場所の土地を掘り起こして開拓し、井戸を掘り、電線を引き、それから家の建築にとりかかる。木は、できるだけ切らずに残す。
零からの出発。家は、地元の建築家の友人がデザインしてくれている。今回は1軒目で、1階がカヌーなどの装備をいれる倉庫で2階は将来の収入のために、人に貸せるようレンタル・スイートにする。目標は、「スーパー・グリーン・ホーム」を建てること。必要最小限の広さで、壁の厚さを通常の2.5倍くらいにして保温性を高め、長い冬の暖房費の節約と温暖化防止に貢献する家にする。
この土地は、北にグレイマウンテン、南にゴールデン・ホーン・マウンテン、マウント・シマと、上手く建てれば窓から美しい山の風景を楽しめる家になる。
本当は、日本建築の要素も取り入れたいのだけれど、この1軒目ではそれは叶いそうにない。将来立てる「Dream Home」まで、畳の部屋や縁側、、、はお預け。
来週月曜から、カーハーツ(こちらで作業着として親しまれているブランド)・ファッション一色の日々になる。「家や宿は、寝るのと荷物を置いておくためだけの場所だからこだわらない」。旅を始めた時から、そういうスタンスできた私が、これからの1年間、自分の巣作りに励むというのは、自分でもちょっと不思議だけど、まあ、いいか。これから、この土地がどう変化していうかの報告をお楽しみに、、。何?手伝いたい?いつでも、どうぞ。
写真1:家の北東部分になる場所。これから、このオレンジのサーベイ・テープにはお世話になることだろう。
写真2:南向き。日当たりと眺めのいいリビングを作りたい。
写真3:密生したスプルース。ここに来週、車道が入る。木よ、森よ、ごめんなさい。なるべく、切らないようにします。


2009年4月21日火曜日

Home








日本では、仕事の一環として、もしくは仕事の合間をぬって、会いたい人たちに会ってきました。そこで付いてくるのがお食事とお酒。「折角日本に来ているんだから、食べたいものを言ってみい」という非常に親切な友人知人の言葉に甘え、あれこれ美味しいものをいただいてきました。

ただ、この冬ほぼ週7日スキーをして鍛えていた体には、実家以外の2週間のホテル滞在は厳しかったのも事実。友人の薦めでランニング用品一式がスーツケースにパックされていたものの、慣れない夜更かし(夜11時過ぎれば私にとっては夜更かし)の連続に朝は「寝れるだけ寝れる」ポリシーを貫き、結局皇居ランも実現せぬままカナダに帰国。

ということで、帰国後初の週末は、まだ時差ぼけも完全に取れないまま、しかし体力回復と久しぶりのウィルダネスを満喫するため、早速友人の車に飛び乗り、ユーコンとヘインズ・アラスカを結ぶヘインズ・パス(ヘインズ峠)でのバックカントリー・トリップへ。「ちゃんと登れるか」少し不安もあったけれど、目の前の純白の山々と頭上の青い空を見たら、もう元気。「上へ、上へ」という誘惑にかられ、吸い込まれるように登っていきました。

4月のスキーを私たちは「スプリング・スキー」と呼びます。真冬のマイナス15度、20度の世界で汗や寒さを心配しながらのバックカントリーとは打って変わり、最初からウールのアンダーウェア1枚で登り始めても汗をかくほどの気候に、私たちは自然と笑顔になります。頂上では、通常ダウンを着込む必要がありますが、4月は写真の通り。男友達はトップレスになり太陽を吸収中。目の前には何処までも続くセント・エリアス山脈群。この景色を1日中、4人占めにできるのがここユーコンの凄いところ。

日本でのプロモーション活動中、「ユーコンは、日本の1.3倍の広さで、そこに人口が3万人しかいないんですよー」というコメントを幾度となく繰り返してきた私。でもそれは、ここに来て、自分の身をその自然のど真ん中に置いてみて初めて、それが一体どういうことなのか分かることなのかもしれません。丁度、私が朝8時、赤坂見附から必死の思いで乗車した地下鉄で潰されそうになったり、日曜夕方の原宿駅で電車に乗るのに30分押しつ押されつの列に並び、東京の人口密度を改めて実感したのと同じように、、、。

2週間前は、六本木ヒルズの52階から、あの人間が創造した都会の風景を見下ろしていた私。今は、そのほぼ対極の風景を持つユーコンに帰ってきた私。4月9日でユーコン在住14年目に突入。その両方の風景と自然、そこに暮らす人々に「ただいま」と言える人生に感謝。

2009年3月23日月曜日

日本











先週末は、アラスカの山でこんな風に雪と遊んでいたのに、明後日には、東京の電車に揺られている自分を想像すると、やはり実感が湧かないのが正直なところ。

でも、桜を愛でるのはとても楽しみ。昨年は、10年ぶりの桜だったけど、最盛期は逃してしまったので、今年に期待。

3月29日、東京地区で先月私が取材のお手伝いさせていただいたフジテレビの番組が放送予定。「ザ・ドキュメンタリー」で、タイトルは仮題で「オーロラに恋して」。出演は本仮屋ユイカさん。犬ぞり、先住民、オーロラと、内容盛りだくさんのはずなので、「ユーコンに恋して」いる方たち、どうぞお見逃しなく。ディレクターのお話では、その後東京地区以外でも放送予定だし、その上にDVDも発売になるそう。東京では、制作の方たちとお会いする予定。いつもいつも、ユーコンでの素敵な出会いが、こうして繋がっていくことに、感謝。


では、今からほぼ「日本に行くときだけ」登場する服や靴たちをクローゼットから取り出す仕事にかかります。今年は、赤坂の路上で、慣れないちょっとヒールのある靴がポンと脱げて、それが会社員の目の前に落ちる、エスカレーターに乗り損ねてスーツケースでこれまた会社員の足を思い切り踏む、、、そういう失態をしませんように。








2009年2月19日木曜日

Go Quest Go!




2月14日、世界一過酷と言われる犬ぞりレースのユーコン・クエストがホワイトホースからスタートした。今回は、日本のテレビ番組取材のお手伝いをしていたために、いつもよりこのレースに深く関わった。

レースは、ホワイトホースとフェアバンクス間の1600キロで行われる。詳しい情報、また現在のレースの状況は、クエストのウェブサイト参照。http://www.yukonquest.com/

今年も、日本人女性マッシャーの本多有香さんが出場している。これが、彼女にとっては3度目の挑戦。仕事を通し、今回初めて彼女と言葉を交わす機会に恵まれたが、今までに会ったことのないほど率直で正直で、なんとも私の興味をそそる人だった。彼女がスタートを切る時には、心の底から応援した。前日には「レース、楽しんで下さい」と声をかけたが、この時はもう、「頑張って」と想うしかなかった。

そこから、約12日間の犬ぞりでの旅が始まった。マイナス50度にも下がるこの極寒の地で、彼女をこの挑戦に駆り立てるのは一体何なのか。それは多分、本人にしか分からないことだろうが、つい、考えてしまう。

顔を真っ赤にして、白い息を吐きながら犬を撫でる彼女の顔が、一瞬、昔映像で見た植村さんの顔に重なった。犬と人間、そこに成り立つ信頼関係が垣間見れた。

今、彼女は次のチェックポイントであるドーソンに向かって暗いトレイルを走っている。私も、10数年ここに暮らして初めて、レースを追ってドーソンに行く。レース中の彼女の表情を見ることを、とても楽しみにしている。