本当に不思議な巡り合わせで、14年前、私がユーコンに移って来たときに最初に出会った日本人のTomoさんとホワイトホースで再会した。
「Yoshiは全然変わってない」という彼のコメントが外見のことなのかどうかは不明だけど、「相変わらずストレスの少ない生活してるから」とだけ答えた。でも、私よりも変わっていないのはTomoさんで、昔と変わらずソロでの登攀を続けているらしく、その顔はこれ以上無理?というくらいに日焼けしていた。
Tomoさんは、私が植村直巳さんに感化され、憧れ、アラスカを旅し、結果ユーコンに来たことや、犬ぞりを学ぼうとノースウェスト準州にひと冬移ったなど、私がここに来たばかりの頃の言葉や想いをよく覚えていてくれた。
あの頃は、働いていたカヌー会社の庭にいると、毎日のように同年代の「面白い」日本人がフラリと立ち寄り、旅の話をし、時には私の家でご飯を食べていった。皆、植村さんや野田さんの本を読み、影響を受けて北へ冒険に来た人たちだった。南米から自転車で上がってきて、ホワイトホースで安いカヌーを買い、そのまま自転車も乗せてアラスカを目指していった人。アンカレッジからやはり自転車で旅してきて、これからチリまで行くのだという人。野田さんと同じような白い帽子を被り、野田さんがそうしたようにマイ・フェザークラフトを担いでカヌーを楽しみに来た人、、、。
最近は、ここでこういう「冒険の途上」にある日本人にあまり出会わなくなった。世代が変わり、ただ私が会わないだけかと思っていたら、14年来の知り合いであるカヌー会社のオーナーも同じことを言ったので、きっとそうなのだろう。だから、久しぶりにあったTomoさんが相変わらずで、山の話になると熱く語りだすのを見て嬉しかった。
14年。町に日本食レストランも、スターバックスもウォールマートも無く、代わりにユーコン川のほとりにアーティストたちが多く住み着いていた古いキャビンの集落、「シップヤード」があり、今よりもっとフロント・グラスにヒビの入ったトラックが多く往来していた頃のホワイトホース。私やTomoさんにとっての「古き良き時代」。私も、ここでそんな思い出話を語れるようになった。
14年もこの町で、毎日のようにグレイ・マウンテンを見上げ、ユーコン川の力強い流れの側で暮らし、そして今でもその景色を本当に好きだと思えることを嬉しく思う。
と、ユーコンをシミジミ語りつつ、突然ですが今週からブラジルに行ってきます。また、3週間後に戻ったら、報告します。では、、、。
2009年9月7日月曜日
2009年9月4日金曜日
Curious Mind




また、ひとつ歳を取る。自分の生活を冷静に見つめ直してみると、歳を重ねていることに、なるほど、ナルホドと納得することもあれば、何故こうなんだろうと首をひねってヒネリマクルしかないこともある。
でも、もし、20代前半からひとつ変わっていないものがあるとすれば、恐らく旅への強い好奇心だろう。大学3年の夏、初めての海外、初めての独り旅で訪れたアメリカ。足元に広がるグランド・キャニオンを見渡していたところ、60代くらいのおばあさんが私に近づいてきて、尋ねた。「あなたは、今日どんな方法でここを楽しんだの?」「足で」「そう。私もね、30年前は、歩いて渓谷を下りた。でも、もうこの歳ではそれもできないから、今日はバスで観光したのよ」
私が、以後、バックパックを担いでの旅を始めたのは、この言葉との出会いがあったから。「体力と、気力と勇気がある今だからこそ、今しかできない旅をしよう」
その想いは、今でも続いている。だからこそ、私は人力での旅に魅力を感じ、パドルを持ち、スキーを履き、バックパックを担いで自然にアプローチする。
今年の夏の友人たちとの9日間のアラスカ、プリンス・ウィリアム・サウンドでのシーカヤックでの旅。旅の前の装備や食糧の準備から始まり、海では地図を読み、ラジオで天候をチェックし、風雨の中パドルを漕ぎ続け、氷河の壮大さや目の前に広がるレイン・フォレストの瑞々しさに感動し、テント場で歌い、大声で笑う。これは全て、好奇心が導いてくれること。好奇心があるからこそ、私は青く光る流氷にアプローチし、氷をすくって口に含んでみるのだと思う。
この好奇心だけは、歳を重ね、いつか生活や旅のスタイルが変わっても、変わらずに持ち続けていられたら、、、と思う。
2009年7月24日金曜日
Prep

来週月曜日、いよいよ友人たちとアラスカ、プリンス・ウィリアム・サウンドへの11日間のシーカヤックの旅に出かけます。今は、バタバタと旅の準備中。家では、先週から友人に借りたDyhidrator(日本語では何というのでしょう、、、。食糧を熱風で脱水させる機械)が作動しっぱなし。カヌーでの旅と違い、クーラーをドッカリ載せていけるわけではないので、イチゴやキウイ、バナナなど果物を中心に、保存食を作製中なのです。
旅の仕方によって、持参できる食糧やパッキングの仕方などが変化するので、新しいことに挑戦する度に、本当に色んなことを学びます。
4日後には、ここから友人のトラックでアラスカのバルディーズに向かっています。バルディーズは、大学時代に初めてアラスカの地を踏んだ旅で訪れた町で、また、初の「幻のオーロラ」を見た場所でもあります。昔、観光フェリーで渡った海。あの頃は、その10数年後に自分がそこをシーカヤックで旅するとは想像もしていませんでした。あの時のアラスカでの1歩1歩が、私をユーコンに導いたことは間違いありませんが。
では、氷河の海に、しばらく出かけてきます。行ってきます!
2009年7月9日木曜日
Into the Wild








世界の色んな場所を旅して感じる「ユーコンの良さ」は、いわゆる「景勝地」へのアクセスの悪さ。土地が広大であることと、ハイウェイの通っている場所が限られていることがあり、歩く、漕ぐ、飛ぶなどの方法でないと「行けない、見れない」場所が山ほどある。例えば、カナダの最高峰、マウント・ローガンだって、天気さえ良ければハイウェイから見える、、、ものではないし、氷河へも車で簡単にアプローチして、ちょっと歩いてみる、、、などというセッティングはここにはない。そして、そういう場所に限って、息を呑むような風景に出会えることがある。そこには、雄大な野生地を楽しめるという以外に、努力してこそ見て感じることができる場所であるということ、そして人や車が入っていないからこそ保たれている美しさというものがあると思う。
先週末、私と友人3人の4人のパーティーで、ユーコンのクルアニ国立公園へ2泊3日のバックカントリー・ハイキングに出かけた。公園内でのハイキングというと、「トレイルに沿って歩く」が基本だけれど、私たちは地図を持ち、公園からバックカントリー・キャンピングのパーミットを取り、「道なき荒野」を歩くウィークエンド・アドベンチャーに出た。テント、2泊分の食糧、装備を入れたバックパックは約20キロ。トレイル・ヘッドから見上げる峠にはまだ雪が残っている。
友人たちと地図を見ながら、スタート地点からゴールまでのルートを検討する。「ここに尾根があるだろう。ここを歩いて、谷間に下りて、、、」。「2つ目の湖にテントを張りたかったけど、熊が多すぎるからと公園に禁止された。じゃあ、この手前の湖ではどうだろう?明日歩く距離が増えるけど、大丈夫だよね?」人に頼らず、自分たちの判断で行程を作っていくことの面白さ。
今回歩いたルートは、最初の約13キロほどがクリーク沿いであるため、時々、ボトルに水を汲み、顔を洗いながら歩く。足元には、今を盛りと咲くワイルド・フラワー。天気にも恵まれ、最高のハイキングを楽しむ。
2泊3日。ハイキング・ルートを離れて歩いた私たちは、車を止めていたゴール地点の約2キロ手前まで、他のハイカーに出会うことは一切無かった。こんな場所は、正直、世界でも限られているのではないかと思う。
また一つ、ユーコンで秘密の素敵な場所を発見できた。
写真解説:
1)Into the Wild
2)Loving Life
2)今回のクルー(マイク、スティーブ、デービッドと紅一点で嬉しそうな私)
3)4)絶景の中でのキャンプ地とアウトドア・キッチン
5)影
6)熊の掘った穴。はい、やはりいらっしゃいます。
7)もうすぐゴール、、、という地点で小川を見つける。冷たいユーコン流「ASHIYU」
2009年6月24日水曜日
Bike Relay



コースは、ホワイトホースから西へ約154キロ、ヘインズ・ジャンクションというクルアニ国立公園の玄関口でもある町から、クルアニ、タッチンシニ・アルセックという、ユネスコ世界遺産に指定されている公園を抜ける超絶景のハイウェイを走り、アラスカのヘインズという港町までの238.3キロ。これが8区間に別れており、ソロ、2人、4人、8人というカテゴリーのチームで走り抜ける。
私たちは、6人のチーム。友人のジャレットが2区間を担当する。私は7区の担当で距離は37.5キロ。カナダとアラスカの国境を自転車で越えたくて、この区間を選んだ。前半の区間は山のアップダウンが激しく、後半はアラスカの海からの風に立ち向かいながら自転車を漕ぐことになる。
この自転車レース、なんと参加者1200人規模。朝からお祭りムードで、シリアスな人たちはかなり真剣にレースに取り組むけれど、後は、「とにかく楽しもう」というムードの参加者たち。私たちのチームも「海賊」のテーマの下、おそろいのストライプの靴下を履き、自転車には海賊の旗を立てて走った。沿道ではチームのメンバーが海賊のコスチュームを着て応援してくれる。
最近は皆の乗る自転車もどんどん高級化、高速化してきているけれど、私が乗っているこの自転車、大学時代にアルバイトのお金をはたいて買った一品。福岡は地元久留米の小さな自転車屋さんでフレームをオーダーメードして作ってもらった物で、大学時代に旅のために普段からケチケチ生活する私の足だった。カナダに移ってからも、どうしてもこの自転車をあきらめきれず、ある時飛行機に乗せてユーコンまで持ち帰り、そして未だに乗り続けている。このリレーにこの自転車で参加するのも3回目。時々、古い自転車に目を留めて「おっ。いい自転車に乗ってるねえ」と声をかけられることもあったりする。
さてさて、「リラックス・チーム」であるはずの私たち。でも結果は8人チームのカテゴリーで75チーム中13位。以前は2位になったこともある。私は遅いけれど、私の友人たちは基本的に普段からの鍛え方が違う人たちなので、「順位なんて気にしない」と言いつつも、速いんですね、やっぱり。
最後はヘインズの海を眺めながら、アラスカン・ビールで乾杯。運動した分のカロリーをしっかり取り戻す夜を過ごしました。
2009年6月12日金曜日
Rivers


5月の4週目から、毎週末、カヌーを漕ぎまくっています。
毎週末というのは、土曜も、日曜も、とにかくカヌー、ということ。
1週目は、肩慣らしにタキニ川へ。この川は、練習に適当なエディが数々あり、途中、ロックガーデンや通称「ジョーズ・オブ・デス(死への入り口!)というクラス2-3(水量による)の短い瀬があり、遊べる川です。地元民に人気があり、ホワイトホースから日帰りで漕ぎに行くことができます。
2週目は、少しレベルを上げてウィートン川へ。この川は、クラス2の瀬が2時間ほど続きます。川幅が狭く、倒木などが川に横たわっていることがあるので、更に技術が必要になります。この川は、私の大のお気に入り。川も面白いし、何しろウィートン・バレーの景観が素晴らしく、何年、何回通っても飽きることのない川なのです。
3週目は、かなりのステップ・アップでクルアニ国立公園を流れるキャスリーン川へ。友達が友達を誘い、なんと15人のグループ。この川は、途中に滝、そしてクラス5レベルの渓谷があるため、どこでカヌーを止めるかをきちんと知っておくこと、(また、その場所できちんとエディに入る技術があること)、そして9時間クラス2-3の瀬を漕ぐ技術と精神力があることが条件になります。
この日、私たちも朝11時に漕ぎ始め、終了したのは夜8時。。。グッタリするかと思いきや、皆、満足感でこの笑顔。好きなんだなあ。
2009年5月26日火曜日
五郎さん

東京に住む仲良しの男友達Yから、家の建築の経過報告のメールへの返事が来た。
「なんかさ、本当に五郎さんみたいだよね」
この五郎さんというのは、当然「北の国から」の五郎さんなわけで、ファンの彼からしたら褒め言葉なんだろうけど、30代、女盛り(?)の私としては、五郎さんと呼ばれるのはどうだろうと、田中邦衛の顔を思い浮かべなら、ちょっと首を傾げてしまった。
次に頭に浮かんだのは、「野菊の墓」。あの小説の中で、民子は政夫という青年に「野菊のような人だ」と言われる。私も、例えられるなら「五郎さん」より「野菊」の方がいいよなあ。
でも、長靴履いて、シャベル・カーに乗せてもらって嬉しそうにしている我が写真を眺めると、やはり友人のコメントの方がはまる。まあ、仕方ないか。
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